プレガノ(ブログ運営者)の抱える”差別”を考えてみる。

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人と言うのは自分が育った環境や体験等の経験則により、ある種の固定概念に捉われる事が多い。そこで今回はちょっと新しい企画を考えてみました。

私が抱える”差別的思想を言語化してみる”といった記事です。少し過激な内容ですが、私もそれを良かれと思っていないので、これから直していこうと思い記事にしています。

読者の方には、出来るだけ私を説得して欲しい。私の性格を矯正する為に反論をもとむ!

女性の話は、面白く無い。

私は女性が苦手だ。

といっても顔を見て話せないとか、全く耐性が無いという意味では無い。女性という”集合体の認識”が嫌いなのだ。

女性は”結論を先延ばしにし、停滞を望む生き物だ”という事をどこかの書籍で見た事がある。私自身女性から恋愛の相談をされる事が過去にあったが、大抵の場合”結論は決まっていて、ただの悩みを聞いて欲しいパターンが主だった。そこに私なりの回答を挟もうとすれば「そんな事、聞いてないから」と一蹴されてしまう。

大阪人みたいにオチをつけて話せとは言わないが、何か得られるものがある話をして欲しい。他人の愚痴を言った所で何も解決しないし、そこに共感した所で心に何かシコリを残すだけだ。

お察しの通り、こんな事を思っている男性は女性にモテない。私も人並みに”男”なので、この考えを改める必要があるのだが、どうしても興味が湧かない。

死刑制度は続けるべき。

人を殺したのなら同じ対価を払うべき。

そう考える事が、どうしてもおかしいと思えない。

しかし刑を決める権利があるのは裁判官であり、被害者である。私はよく被害者の立場になって考えるのだが、”自分の家族が殺された”のなら私はその犯人に同様、またはそれ以上の死に方をして欲しいと願う。感情の話をするなって?裁判員制度なんかほぼ感情で決めてるだろう。

囚人は私達の税金で生きているし、無期懲役は永遠に出られないという意味でも無い。再犯を犯す可能性は存分にある。果たして生かしておく必要があるのだろうか?

よく反論として冤罪の可能性があるからといった意見がある。では、明らかに”殺した証拠”があって、本人が認めているのであれば、それはもうGOサインでいいじゃないか。

生かしておいた場合のメリットは、果たして人を殺したデメリットに勝るのだろうか?

浅い歌詞を聞く奴はバカ。

これはもうどうしようも無いレベルの偏見であり、様々な方面からバッシングが来るかもしれない。しかし、どうしても彼ら(そういう曲を聴いている人)に聞きたいことがある。

本当にこの歌で君の心は響いたのか?

私が古本屋で面白い書籍がないか漁っていた時の話だ。店内のスピーカーから曲が耳に流れ込んで来た。

「君はひとりじゃないよ」「かけがえのないものは友人」「君の為にこの人生があった」

私はこんなストレートな歌詞に鳥肌が立ってしまう。そして思わず「内容、浅っ!」っと呟いてしまった。具体例をあげると”ファン●ン(略語)”、”エグザイル”とか”●オトインティライミ”とかがあげられる。

「だったら聴かなきゃいいじゃん」

もっともだ。そう、だから聞かない様にはしている。しかし公共の場で良く流れているのを聞くと「うーん…」と思ってしまうのだ。

不思議な事にストレートな歌詞でも”ウルフルズ”とか”西野カナ”なんかは素直に聞ける。でも表面だけをさらう歌詞というものが苦手なのかもしれない。なんていうか歌手の気持ちを感じない

実際問題、ファン●ー加藤は不倫騒動があった。しかも親友の嫁を寝取ったそうだ。こんな奴の一体どこに共感できる歌詞があるのだろう…?当時の私は本当にそう感じていた。

ちなみに

じゃあ誰が良い歌詞を書くんだ!!と言われるかもしれないので、私が好きな歌手を幾つかあげてみようと思う。

鬼束ちひろ

”流星群”

言葉にならない夜は 貴方が上手に伝えて

絡みついた生ぬるいだけの蔦を まぼろしだと伝えて

心を与えて 貴方の手作りで良い

泣く場所があるのなら 星など見えなくていい

呼ぶ声はいつだって 悲しみに代わるだけ

こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ

でも必要として

貴方が触れない私なら、無いのと同じだから

sajou no hana

”グレイ”

きっと誰もが夢見ている 眩い明日で満たされた世界を

きっと僕には関わりのない、 綺麗な色で塗りつぶされている

「どうして泣いているのだろうか?」

「誰かの憎しみを受けるべきだというの?」

「いつからこんなことになった?」

答えはどこにもない

歩き出した感情の音は、水色、淡くささめいて

溢れ出した言の葉たちを、まだ憶えている

いつからだろう、僕の心が解けていく

ちなみに私が苦手なアーティストの歌詞はコチラ

”ありがとう”

(略)

何も見えない暗闇の中で

君の涙に気付けていたかな

頼りなく手探りしていたけど

いつだって 君だけは

僕の光だった

君と寄り添っていくつも乗り越えた

悲しみの夜を僕は忘れない

いつもそばにいて 支え合えた日々と

温かな君の笑顔にありがとう

※上記の歌詞は歌ネットから引用しています。

こういう事は他人がとやかく言う事では無いし、私が好きな難しい歌詞も結局言いたい事は、このストレートな歌詞がみたいな事でしょう。しかしもっとこう、深い部分まで潜って欲しいなぁと思うんですよね…。

いつも忙し”そう”な人は仕事が出来ない

やたら音を立てて忙しさをアピールする人が居る。その人はいつも苛ついており、余裕が感じられない。私が新人社員であれば話かける事も遠慮しそうになる程バタバタしている。

私はそんな人を見る度、「貴方、その仕事向いてませんね」と思う。

忙しいと体を早く動かさなければいけない。のは理解できるが、音を立てるのは余裕が無いからだ。そんな人は誰かに頼るという事を忘れ、全て自分でこなそうとして動き回る。たとえば新人社員が使えない場合、”使える様に教育”すれば後で自分が行う作業が捗る。

教えている日は作業が滞るかもしれないし、自分が残業しなければいけなくなるかもしれないが、そんなものは後でどうとでも取り返せる。少なくとも私はそう思っている。「はー忙しい忙しい」その方の行動は周囲をイラつけせている事に気が付いた方が良い。

その人は上司に向いていない。

ギリギリの時間に置き、急いで電車に乗り込み、開始間際で自分の席に着く。よりも、朝早めに起きてガラガラの電車に座り、会社の前の喫茶店で朝食を取る。方がどう見ても出来る奴に見えないだろうか?

毎日3食、バランスよく食べるのは無駄

動物は毎日3食、食べてはいない。彼等は食べれる時に食べ、食べれないときに備える。

私は昼食を取るとその後眠たくてたまらなくなる為、昼食は取らない。敢えて”腹が減った時”に食べる様にしている。今までは実家暮らしだったのでいやおうなしに特定の時間にご飯が用意されていただけで、私自身がそれをしたくて行っていた訳では無い。

学校では先生が、家では親が、バランスよく食事を取りなさいと言う。野菜から食べてお肉を食べて、合間に汁を取る。成程、健康的!…本当にそうだろうか?

好きなモノを好きなだけ食べれば良くないか?

野菜好きなら野菜だけ食べればいいし、肉が好きなら肉だけ食べればいい。

もし、体に不足している物はあれば、体が教えてくれる。脳を使えば、「甘いものが食べたい」と思う。口内炎が出来れば「ビタミンが足りない」と気づく。ならその時対処すれば良い。

余計なストレスを貯める方が病にかかり易くなり、イライラする。

ただまぁ、太る事を良しとしない方は適度な頻度で食べましょうという話ですが。

まとめ

今回は私が生きていく上で感じた「これはこう!」「こうすればよくね?」について語らせて頂きました。皆さんにもそれぞれ自分の中の”常識”を持っていますよね?例えば目玉焼きに何をかけますか?と聞かれて「醤油」「マヨネーズ」「塩、コショウ」「ケチャップ」等、様々な選択があります。もの事にたいしても「正しい」「正しくない」を選択して貴方は今の人生を選択している訳なんですね。

別に共感して貰える人だけに見て貰えば良いという意味で今回の記事を書いた訳でなく、反論が無いのなら私の考えは大多数が思っているのかな?と自分に落とし込む事が出来るかもと思ったのです。承認欲求と言うやつかもしれません。

まぁ、固定概念は選択肢を狭める行為なので私自身、変わらなければと思っています。しかしその場合、自分と言う個性が何なのかが曖昧になってしまいます。

要はバランスが大事。偏っている自分でも、どちらにも転がれるというフットワークの軽さを養っていきましょう!

 

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