きっかけは祖母の死!?介護士を目指した”理由”

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今日は若干趣旨を変えてこんな話はいかがでしょう?皆さんに興味は無いかもしれませんが、私が今後仕事に対して、この思いを忘れない様に一応書かせて下さい。

きっかけは”祖母の死”と”消去法”

私はこれまで販売業や営業・棚卸業者等を経て介護の仕事に就きました。元々介護の仕事に興味は無く、介護士になるギリギリまで海運会社に勤めようか悩んでいました。

私の夢は”自分の作品を世に出す事”です。形式は何でも良かったのですが、”音楽”・”イラスト”・”Youtube”・”ブログ”等、気になったものがあればすぐに手を出しました。しかしどれも少し摘まんでは身にならないものばかりで、20年以上かけても何も成しえなかった為に諦めてしまいました。

そもそも私は生きてさえいれば、いずれ”守るべき家族”や何らかの”生涯を通じて大切なモノ”が出来ると思っていたので深くは考えず、本気になる事も無かったのかもしれません。

また人と異なる人生を送るという事を恐れた為に、いわゆる普通の人が思う”常識”に囚われてしまったのだと思います。常識とは、例えば”定職につかなければいけない”、”30代で独身だったり女性経験が無い”等そういう一般的に恥ずかしいと思われる部分。そこに反応されるのが怖くてどこか”真面目に生きなくては…”と悩んでいました。

しかし真面目に生きる中でどうしても自我(自分の意思、感情)を捨てる事が出来ず、定職についてみるも、押さえる事が出来ずにすぐ辞めてしまいます。単純に根性が無かったとも捉えられるのですが。

 

狭まる選択肢

私はその頃無職でした。前の会社で心に病を抱え、医者の指示を受けながら約三カ月の療養を頂いていたからです。

それでも自分の中の基準として、休んでも最長でも3カ月以内。と決めていたので減っていく預金残高を眺めながら次の仕事は何にしようかと悩んでいました。贅沢な悩みなんですが、以前自分が行っていた仕事はしたくない。するとしてもそれは最終的に候補が狭まってきたら。そんな風に考えていたので、自然と選択肢は減り、残るは”工場勤務”や”コンビニ等の店長候補”そして”介護士”でした。

ふと、以前のバイトで「海運会社は狙い目ですよ。給料は高いし、仕事も楽です」とアルバイトの後輩が言っていたのを思い出し、少し離れた県にある海運会社のハローワークに行きました。何度か乗船を体験した後それほど辛くないなぁ…と思ったので私は”海運の仕事をするぞ!”と決意しました。

確かに海運会社は高齢化が進み人員が減り、給料も高いので狙い目であった事は間違いないのですが、私が採用される事はありませんでした。「将来的に資格も取得し、必ず3年以上勤めます」と明言しても電話での返事は全て”不採用”でした。今にして思うと面接する側から私の覚悟が足りない様子が目に見えていたのかもしれません。

そろそろ仕事をしないと同居している家族に迷惑がかかるなぁ…と思い始め、私は気持ち的にいていました。そんな折に、姉が実家に帰省してきたので、私はとある疑問を投げかけました。

「介護士って大変?」

姉は私に、「お前は介護士に向いていないと思う」と話します。その上で自分が体験した介護士になって良かった事、逆に大変だった事をお酒を飲みながら私に話しました。私はその話を聞きながら「(やっぱりやめておこうかなぁ…)」なんて思い、”介護士”に対しひるんでしまいました。

祖母の死

祖母は私が前の仕事に就く年の、頭に亡くなりました。それも不思議な事に、父方・母方どちらもほぼ同じ時期です。ちなみにどちらの祖父も、私が物心つく頃には亡くなっています。

母は自分の親は勿論の事。父方の祖母にも大変お世話になったという事もあり心身不安定になっていたのですが、孫である私はいつも通り平然としていました。私はとあるトラウマから父方の祖母が苦手になり、ほぼ疎遠だったからかもしれません。祖母が亡くなっても泣く事はありませんが、

少し心に小さな穴が空いた様な感覚はしていました。

”介護士”という仕事を見つけた際に思ったのは当然、祖母の存在でした。私はこれからああいう感じの人達と同じ空間で働かなければいけないのだろうか?なんて想像をし、「あり得ないなぁ」なんて呟きながら、求人の広告をめくっていたと思います。

しかし選択肢が狭まってくると”介護士”を選択しても良いんじゃないか?と思う様になりました。トラウマがあり苦手ではありましたが、別に高齢者自体を嫌いでは無かったからです。私がギリギリまで悩んでいたのは”排泄介助”が出来るか否か?でした。それも今にして思えばただ介護士の仕事に就きたくない自分への抵抗だったのですけど。

私にトラウマを植え付けた父方の祖母は私が会いに行った次の日、ひ孫の顔を観る前に亡くなりました。特に理由は無いのかもしれませんが、よく祖母に会いに行っている姪が死に目に会えず、祖母を苦手に思い疎遠となった私が死に目に会えたというのは何かスピリチュアルな体験をした様な感覚がします。

私は霊という存在を信じていません。でも何か欲しいものがある時に財布の中身が丁度商品を買える金額だったらそれは”買うべき”だと思う程度に運を信じています。その方が人生を楽しめると思うので。

私の顔を観た祖母は泣いていました。私が祖母の思いを知りえる事は今後一生ありませんが、いまでもふと、「どうして祖母は泣いていたのか?」と考える事があります。私から見る祖母は当時よりも痩せており、管に繋がれ、寝たきりになっていました。当然それを痛々しいと感じていましたし、本当に最期が近いんだなぁと当時の私は思いました。

勿論、出来るだけ祖母の様子に驚かない様に務めましたが。

決意の理由

私は何処にでもいる普通の人間と自負しています。

好きな事の為無限に努力が出来る人間を世間では”天才”と言いますし、いまだ私は到底そこに到達する事は無いだろうとどこか諦めの様な部分があります。私はそれでも”普通”の人なりに何か残せるものは無いのだろうか?とずっと考えていますが未だ見えていません。

介護の世界に入ったのは自分の言い訳の選択肢を少しでも減らそうと思ったからです。向いているかどうかはやってみなければ分からないのだから。その入り口で何度もパンフレットを眺めて「やっぱり面白くないのかなぁ…」等と立ち尽くしても仕方が無い話なのです。

祖母はその背中を少し押してくれた存在かもしれません。

今は介護士を辞めてしまいましたが、私がいつもの仕事より長く働けたのは祖母の件があったからと言えると思います。

まとめ

結局の所、何が言いたかったのか分からない様な文章だったかもしれません。ちょっと客観的に見れなくなってしまいました。本当に申し訳ありません。

別に介護士をするのに劇的な物語なんか必要ないのですが、何がきっかけになったのかというのは結構、自分の本質を観る上で大事な部分だと思います。自分の事なのに自身の行動や考えが一番理解出来ないって人、結構いるんじゃないかな?

いずれは何故介護士を辞めたのか語ろうと思っていますが、大半の方は興味が無いと思いますのでちょっと右往左往しつついつか記載します。

それでは本日はこの辺りで切り上げましょう!本日はありがとうございました。

ではまた★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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